「手が離れる」第一歩?

最近になって、小学校中学年の娘の成長ぶりを喜ぶ内容の文章を何度か書かせていただきました。
お腹が空いたときに母の力を借りずに自分でおにぎりを作って食べていたこと。
疲れている様子の母のためにおにぎりを作ってくれたこと。

※関連コラム
⇒「子供に頼れる日」
⇒「初めての瞬間」

それ以外にも色々あります。
娘の成長に伴い、本当に、物理的に所謂「手が離れて」来ています。

自分ひとりでゆっくり入れるお風呂は幸せですし、眠りにつくときに必ず一度は一緒に布団に入らなくてもいいのも、それだけで負担がとても軽くなった感覚です。

それでも、何か一抹の寂しさが。

本っ当ーーに、ついこの間まで娘の方からぴたっとくっついて来ることが多かったのに、最近は良かれと思ってハグしてあげると若干めんどくさそうにされます。

ついには、あまりベタベタされるのはどうも嫌なんだと気づきました。
そうか、そうなのかー。

恥ずかしさだとか。
パーソナルスペースだとか、色々な単語が頭をよぎりました。

家族だけど、いつでもどこでも一緒のような生活をしてきた母と子だけど、これからは色々気を付けていかないといけないんだな。
距離感を変えていかないといけない時期に来たんだなと。

そういえば、休日には好きな本やマンガ、タブレットを小脇に抱え、別の部屋で一人の時間を満喫していることも増えてきていました。

こういう時期の訪れは個人差があると思いますが、我が子はだんだんそんな時期に来ているようです。
そしてこれは、成長のあかしなので、喜んで良いことなんですよね。

何度か冗談で、
「何その態度ー、ご飯作りたくなくなってきた」
とか、
「もうお母さんとくっつくの嫌なんだ」
とか思わず拗ねた風にしてしまったんですが、
「そんなこと言ってないでしょー(溜息)」
とこれもめんどくさそうにあしらわれました。

そうだよね、そんなことは言ってないよね。
分かってるんですよ母だって。

そんなこともあり、こういうのもやめておかないと…。
と思って拗ねるのはやめにしています。

成長は嬉しい!喜ぶこと。
それは頭では分かっているんですが、どこか寂しいものですね。

お母さんお母さんと後を追ってきてくれて、何でも助けてあげないといけない日々とは違う段階に、これから行くんだと思うととても寂しいです。

でも、そんな風に
「寂しいけど、寂しいと思っちゃだめだな、喜ばないと!」
無理に頑張って気持ちを切り替えようとするのもストレスだったのでしょうか。

ある日、
やっぱり寂しいな。
寂しい。なんなら、今は悲しいとすら思う。
そうだ、私はここのところ何だか悲しかったんだ。

と素直に悲しい感情に浸ってみたら、泣けてきてしまいました。
急に自分が必要とされなくなったような感覚にもなっていて、それが悲しかった。

もうこれは、思い切り浸ろう!
と思い、赤ちゃんの頃からの写真をしばらく眺めてみました。

頭の中でちょっと感動的な曲が勝手に流れてきたりして、ますます泣けてきます。

産まれたときからずっと可愛いな、ああこんなところにも行ったんだな。
こんなに毎日のように写真を撮っていたんだなー、なんて思いながら、これまでの子育てを振り返りながら思いっきり浸りまくったら、気分はスッキリ!

元々、悲しいことはだいたいこうやって乗り切ってきました。
私は、まずこの段階を踏まないと、何か気が紛れることをするとか、人に会って愚痴るとか、そういうやり方では気持ちが上向きにならないタイプなんです。

涙を流して心のデトックス完了。

まだまだ小学生。
一日に何度も呼ばれるし、甘えてくることもたくさんあるんです。
親の愛情は必要です。

手は離すけど、目を離さないように。
先回りし過ぎず、自分で考えて決めさせるように。
子どもの一人の時間を尊重して、自分もその分好きなことで楽しむように。

切り替えていこうと思います!

それにしても、今からこんなで、子どもの思春期にメンタル大丈夫ですかね、私。子どもが可愛くて、大好き過ぎる…。

私の場合は、仕事でどれだけ居場所を得られるかと、子育ての話以外のことでも盛り上がれる友達の存在が重要になってくる気がしています。

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⇒「子離れの始まり」