食堂のおばちゃん

以前、
世界は誰かの仕事でできている。
という缶コーヒーのCMのコピーが好きだったというお話をしたことがありました。
(「自分にしか出来ない仕事」というコラム内でお話しています。⇒コラムはこちら

物を運ぶ人、商品を棚に陳列する人、販売店の売り場に立つ人…。
自分のお給料の計算をしてくれる人、等々…。

午前中に通販で買った品物が、千葉県で発送され夕方には宇都宮に届いたりしちゃう世の中。受注→倉庫からのピッキング、梱包、発送、運搬、配達と、何人の人がこの買い物に関わってくれたのかなーと思いを馳せてしまいます。

どの仕事も尊くて、日々誰かの仕事のおかげで生きてるなーと本当に思います。
そんな中、急に思い出してしまった、20代の頃にあった忘れられない出来事の話をします。

仕事でとーっても嫌なことがあった日の昼休み、いつものように社食へ。メニューが選べる食堂ではなく、行ったら出されるものをお盆に乗せていただくスタイルでした。

社食のおばちゃん(ここでは親しみを込めて、当時言っていたのと同じように表記します)は何人かいて、シフト制になっているようでした。
おばちゃん達が作るご飯は美味しくて、メニュー選択権が無くてもとても満足していました。

でも…1人不人気な人がいました。シニア世代と思しき人で、その人の日は「若い世代にはウケにくい」メニューばかりだったんです。

そのおばちゃんの日、ほとんどの若い世代のスタッフは何かしら少し食べ残していました。残飯バケツに捨てる動作も当たり前のようにバサーっと。

そのとーっても嫌なことがあった日はその若手に不人気おばちゃんの日。
「あーあ、ご飯にも恵まれないんだ今日は。
なんて思いながら配膳し、いただきました。

あまりにも気分が冴えず、泣きたいぐらいの気分でいつものように残飯をバサーっとしながら
「ごちそうさまでしたー」
と声をかけ、仕事に戻ろうとすると、おばちゃんが
どうしたのそんな顔して。そんなんで仕事に戻るの?大丈夫?
と声をかけてきてくれたのです。

「え?」

せっかく作っていただいたおかずを、バサーっと捨ててばかりいた私にどうしてそんな優しい言葉をかけてくれるんだろうか…。

そのタイミングでのその声かけはとっても心に響いて、涙がポロポロとこぼれてしまいました。

「やだー泣かせちゃった…ごめんねぇ」
私の方こそ謝らせてごめんなさい、って思ってたけど言えませんでした。

多分、裏で泣いたのバレバレの顔で仕事に戻りました。
だけど、一回泣いたら気分がスッキリして、まあ頑張るかー。
と切り替えが出来ました。

もう色々な意味でおばちゃんに感謝の思いでいっぱいに。
私もこういう気遣いあふれる仕事で誰かの役に立とうとも思いました。

それ以後、おばちゃんのご飯は大人世代にはヘルシーで受け入れられているって事にも気づきました。
今の私ならまさに理想の食事かもしれません。

よく考えてみたら、この年代で元気に仕事しているのって素敵だなと思ったり。
若手に散々な言われようだったのに、にこやかに手際よくお仕事している姿を見ておばちゃんを尊敬のまなざしで見るようになりました。

高校生の頃に初めてアルバイトをして、働く人の立場や気持ちを想像したり考えるようになった私ですが、いつしかそういう視点を忘れていたなーと思います。
いつもありがとうございます、という気持ち。

周りに感謝の気持ちを持って、自分も「誰かの仕事でできている」世界の一端を担うんだと思うと、気持ちが引き締まります。

目の前のこと、頑張っていかねば。
おばちゃんに受けた恩、それから今までたくさんの方から受けて来た恩を出来るだけ多くの方にお返ししたいです!